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物作りの現場に足を運び続けます

物作りの現場に足を運び続けます

 

旅の始まり

 

わたくしども銀座HIKOオーナーの
中村哲彦が独立した1986年は、
バブル景気の始まりの年。

有名なブランドであるほど売れ、
高額なアイテムであるほど選ばれる。
そんな時代でした。

  

オープン時のHIKO ( 当時の屋号は
「日子」 )の様子。熊本にて9坪ほどの
小さな店としてスタートしました。

 

 

世界の激変

 

その後迎えたバブル崩壊、
アパレル業界にも激震が走ります。

それまでは商社や問屋がブティックに
商品を貸し出して、期末に売れた分だけ
支払ってもらう「委託」の商いが
主流でした。
「売れなければ返品すれば良い」
そんな緊張感のない環境が当たり前に
なっていたのです。

しかし景気の悪化に伴い、シーズンの
終わりに大量の返品在庫を抱える事に
なった大手商社やメーカーは、
「委託ではなく買取で」と急激に
方向転換を始めました。

「このままではいけない」と感じた
中村は、「自分の足で物作りの現場へ
行き、自分の目で見て確かなものを
仕入れなくては」と決意。

ヨーロッパに直接足を運ぶことに
しました。

 

 

イタリアへの旅

インターネットどころか、海外で使える
携帯電話すらない時代でした。
( 国内向けの携帯すらも、まだそこまで
普及していませんでした )

 

今でこそ、紳士服の国際見本市「ピッティ
ウォモ」(上記写真が会場です) の様子など、
ネット上でいくらでも情報を集めることが
できますが、その頃はそういった手段は
全くありません。

 

旅行会社に飛行機やホテルを手配して
もらい、繊維業界向けの新聞などで
展示会の情報などをこつこつ集めました。

 

「現地に着いたらホテルが思いのほか
会場から遠く、タクシー代だけでも
大変な金額になった」

「ピッティウォモ会場に行きたかったのに
タクシーに乗ったらピッティ宮に
連れていかれた」

「イタリア語のメニューが読めなくて
適当に指をさしたら食べきれない量の
お皿が運ばれてきた」

などなど…


まさに行き当たりばったりの旅。

まして、英語もほとんど話せない
中村です。

先述の通り、翻訳アプリや目的地に
誘導してくれる便利な機器も一切
ありません。

通い始めの頃は、まともな取引には
なりませんでした。

 

 

諦めない心

 

それでも、

「こちらは仕入れたい。あちらは売りたい。
互いの利害が一致すれば商談はできる」と、
電卓と手帳、辞書と地図とカメラをバッグに
詰めて、何度も何度もイタリアやフランスに
足を運び続けました。

そうするうちに、「おや、また来たの?」
と顔なじみになり、「元気かい?」と
やりとりするブランドが少しずつできる
ようになりました。

 

中村の娘である響子がスタッフとして
入社してからは、多少の通訳代わりとなり
商談もよりスムーズに進むように。


気が付けばもう10年、20年の付き合いになる
ブランドもできました。

 

 

フランスが誇るラグジュアリーブランド ZILLI ジリー

 

イタリア ニットブランド FEDELI フェデリ

 

カーボンファイバーを贅沢に使う
バッグ 専門ブランド
TecknoMonster テクノモンスター

などなど…

 

いずれも、取引開始時は日本での知名度が
高くなく、お客様方からは
「聞いたことがないブランドだね」と
言われたものです。

 

しかし、そのアイテムたちの素晴らしさ、
作り手たちの哲学や情熱をお伝えしていく
うちに「ここのスーツケースを使うと
他のは使えないね!」「こんな綺麗な
ネクタイは初めて見た」と、むしろ
お客様の方が前のめりになって
下さいました。

  

 

直接顔を合わせる意味

 直接顔を合わせる回数を重ねると、
そしてそれが長い年数になると、お互い
目に見えない絆のようなものも生まれます。

 

( ZILLI創業者の アラン シメール氏と。)

 

ヨーロッパは家族経営のブランドが
多く、HIKOも父娘で渡欧し続けていた
ため、互いの家族の近況なども伝え合う
仲になっています。若かった子供世代が
代表になったり、ご結婚されたりと、
「おめでとう!」と喜びを共有する場面も
多くあります。


通常の取引関係だけでは言い合えない
ような率直な意見交換もできるように
なり、お客様からのお声をお伝えする
だけでなく自分たちの想いにもしっかりと
耳を傾けてもらうようになりました。

もちろん、作り手側からも「こういう方法で
お客様に作品の魅力を伝えてほしい」
といった要望を受け取ります。
それを踏まえて、わたくしどもも写真の
撮り方を変えたり、説明文を加筆修正する
といった改善の工夫を重ねてきました。
雑誌に広告を掲載したことも多々あります。

地道にそれを繰り返すことで、今では
多くのブランドが「HIKOのためなら」と
納期を早めてくれたり、通常は受けない
特別なオーダーを引き受けてくれたり
するようになったのです。

 

最近は、フランスのブランド ZILLI ジリー
で通常取り扱いがない特別な色のワニ革で
お財布を作られた方や、
「2年前にフランスの本店で見たんだけど
その時サイズが無くて諦めたんだよ」
というサンダルを改めてご自身サイズで
作られた方もいらっしゃいました。
(こちらもワニ革でした)

 こうした別注は革そのものの手配から
必要となるため、「HIKOでなければ
受けなかったよ」とZILLI から
言われました。

 

 

地球40周分の旅を経て

時差もあり、費用も掛かり、少なからず
リスクも伴う現地への旅。

 

夏は40度を超す猛暑であったり、
冬は極端に乾燥した極寒であったりと
気候的にも大変なことも多いのですが、
気が付けばその旅は距離にして
地球40周分になりました。

展示会や見本市で訪れたブースの数は、
おそらく2000社を超えるかと。

とはいえ、それだけの数のブランドと
出会い、それだけの距離を飛び回っても
「このブランドならば、このお品であれば」
と思える瞬間はごくわずかです。

 

ここ数年の間には、神の繊維と呼ばれる
希少な獣毛繊維 ヴィキューナ を使った
極薄のセーターであったり、

ヨーロッパの有名メゾンのバッグ作りを
手掛ける職人の方との出会いがあったりと、

「現地に行かなければ知りえなかった」

人や作品とご縁が出来ました。

 

今は社会情勢的に海外に出かけることは
できません。しかし自由にまた行き来が
出来るようになれば、また彼らの元を
訪れるつもりです。

  

 

なぜ旅を続けるのか

既に知名度が高いブランドについては、
お客様もしっかり知識や情報をお持ちです。
インポートブランドそのものがまだ
希少だったころに比べれば、実物を見る
機会も格段に増えました。

 

ですが、無名の逸品、名工たちについては
その存在そのものをお客様にお伝えする
必要があります。

 

「世界にまだ、こんな凄いアイテムが
あったなんて!」とお客様に喜んで頂く事。

作り手の方々の想いを、お客様のお声を、
それぞれにお伝えする事。

 

それらのことを通して、物作りの文化を
支え、お客様や作り手の方々の人生を
より良いものにしたい。

 

それが、わたくしどもが物作りの現場に
足を運び続ける理由です。